
「地方創生」「若者回帰」が叫ばれて久しいですが、現実には若い女性の都心への流出は止まりません。
多くの自治体は「仕事がないから」「利便性が悪いから」と分析し、金銭的なメリットや支援制度をアピールして人を呼び込もうとします。しかし、私は根本的な原因はそこではないと確信しています。
私は沖縄本島の中北部のどこかで育ちました。その後、名古屋、千葉、札幌、徳島、石川、大阪と、日本各地で生活してきました。沖縄県内でも、南部の那覇市だけでなく、離島に住んだ経験もあります。また、かつては国の機関で外国人行政の現場に携わっていました。
「中の視点」と「外の視点」、そして「国の視点」。これらを統合して見えてくるのは、地方に根深く残る「自覚のない男尊女卑」と、それを再生産する構造的な絶望です。
今回は、人口データなどの表面的な数字には表れない、地方移住の裏側にある「本当の理由」を書きたいと思います。
ゆるゆるお気軽ライフLab
本稿における「地方」の定義
本題に入る前に、私が指す「地方」の定義を明確にしておきたいと思います。私がいう地方とは、「人口15万人以下」かつ「県庁所在地や大都市と隣接していない市区町村」のことです。
私が名古屋に住んでいた頃、現地の友人が冗談めかして「名古屋なんて田舎だよ」と自虐的に話すのをよく耳にしました。しかし、人口15万人以下の地域出身である私からすれば、「そんなことはない」と強く思います。名古屋は都会であり、非常に素敵な街でした。
確かに、私が住んできた他の都市(札幌や大阪、千葉など)と比べると、名古屋にはやや保守的で、外から来た人を少し警戒するような空気感はありました。しかし、それも「名古屋はいい街ですね」と褒めれば、すぐに打ち解けて仲良くなれるレベルのものです。どこへ行っても、地元を褒められて悪い気分になる人はいませんからね。
今回の記事で扱うのは、そういったコミュニケーションや都市機能が成立しているエリアの話ではありません。物理的にも心理的にも閉鎖され、選択肢が極端に狭められた「地方」のリアルについてです。
「消滅しない」からこそ、変われない
まず、私の故郷である沖縄県の特殊性について触れておきます。
沖縄県は、出生率の高さや県外からの移住人気の高さゆえに、いわゆる「消滅可能性都市」にはなりにくい地域です。人口はある程度維持され、街としての機能は存続するでしょう。
しかし、「街が存続する」からこそ、抱える病もあります。
もちろん、地方にある「結婚して子どもを育てることが幸せ」という保守的な価値観は、一つの立派な考え方として尊重されるべきです。私自身、そういった伝統的な家族観を否定するつもりはありませんし、地元の人々も決して悪気があってその価値観を押し付けているわけではないでしょう。彼らにとっては、それが「当たり前の正解」なのです。
古いOSが温存されるメカニズム
問題は、人口が減らないために危機感を抱く機会がなく、「その価値観以外は認めにくい(新しいものを取り入れづらい)」という空気が温存されてしまうことです。現状維持でなんとかなっているため、古いOS(価値観)をアップデートする必要性を感じない。
「箱」としての街は残っても、その中で「それ以外の生き方」を望む優秀な若者が、静かに窒息し続けているのが現状です。そんな場所から、彼らが都会へ流出していくのは当たり前のことでしょう。
サラリーマン家庭の「家を継げ」の正体
古い価値観に縛られているのは女性だけではありません。男性、特に「長男」へのプレッシャーもまた、若者を地方から遠ざける要因の一つです。
実業家の堀江貴文氏(ホリエモン)も著書『ゼロ』の中で触れていましたが、田舎では長男というだけでやたらと「家を継げ」と言われます。私も田舎の保守的な家の長男ですから、当然のように言われました。
堀江氏は「サラリーマン家庭で家業もないのに『家を継げ』というのは意味が分からない」という趣旨のことを書いており、論理的には全くその通りだと思います。ただ、私の家系における事情を分析してみると、彼らが言う「家」とは、ビジネスや資産のことではないように感じます。
おそらく、「先祖の墓」と「仏壇」のことなのです。
「墓はどうするんだ」「誰が拝むんだ」。これは私の主観ですが、保守的な親世代の「家を継ぐ」というのは先祖の墓や仏壇を維持することなのかもしれません。未来の話よりも、死後の話や供養の話が優先される。もちろん大切なことではありますが、これから自分の人生を切り開こうとする若者にとって、この優先順位の違いは少し重荷に感じてしまうのかもしれません。
数字で見る「沖縄」の閉塞感
話を女性に戻しましょう。厚生労働省の2023年人口動態統計によると、沖縄県の合計特殊出生率は1.60。全国平均の1.20を大きく引き離し、断トツの全国1位です。一見、「子育てしやすい楽園」に見えます。しかし、裏を返せば「女性は子どもを産んで一人前」というプレッシャーが、日本の中でも強い場所であるとも言えます。
一方で、文部科学省の「学校基本調査(令和5年度)」において、<strong>沖縄県の大学進学率は全国最下位の水準</strong>です。
「大学で深く知識を学びたい」「バリバリ働いて大きなビジネスをしたい」。そう願う女性に対し、地元の保守的な考えの人たちは「なぜそんな発想になるのかピンとこない」という反応を示します。反対されるというより、話が通じない。この「多様な生き方が認められない風潮」こそが、優秀な女性を都会へと追い立てているのです。
若い女性がいなくなるということは、その地域で子供が産まれなくなるということです。まるで小泉進次郎氏のポエムのようになってしまいましたが(笑)、これは紛れもない事実であり、地方にとっての致命傷です。
<h2>「男なんだから運転しろ」:内面化された差別</h2>
地方で若者が疲弊するのは、親世代からの圧力だけではありません。「古い価値観を内面化した若い女性自身」の存在が、同性を、そして若者を苦しめています。
私がかつて働いていた職場で、象徴的な出来事がありました。当時、33歳のある女性職員がいました。彼女は沖縄出身で、地元の大学を卒業した「純粋な地元育ち」です。彼女は毎日マイカーで通勤しており、当然、車の運転は手慣れたものです。しかし、業務で運転が必要な場面になると、頑なにハンドルを握ろうとしませんでした。
誤解のないように言っておきますが、もちろん彼女は少数派(マイノリティ)です。沖縄出身で「純粋な地元育ち」の女性であっても、業務であれば積極的に運転をこなす人が大半です。
しかし、私が戦慄したのはそこではありません。彼女は、仮にも国家公務員試験を突破し、日本人の平均以上の学力を持ち合わせているはずの人間です。しかも、組織として民間以上に「男女平等」を強く推進しているはずの国家公務員という立場にあります。
そんな彼女でさえ、職場で悪びれる様子もなく平然とこう言い放つのです。
「男なんだから運転しろよ」
彼女はそう言って、運転業務を拒否しました。「できない」のではなく「男がやるべきだからやらない」のです。行き帰りの役割分担を提案しても聞き入れられず、夜中の緊急対応など負担の重い業務は、すべて「運転ができる人」に偏っていきました。
なぜ彼女はここまで頑ななのか。彼女のような保守的な地方の同世代にとっては、「結婚して子どもを産むこと」が絶対的な正義であり、当たり前の幸福です。そのため、子どもを産まない(あるいは産めない・選択しない)女性の考え方や、キャリアを重視する生き方を、そもそも理解しようとしない傾向があります。
悪気なく「こちらの側の常識」を押し付け、そこから外れる人間には冷淡になる。皮肉なことに、その部署には福岡市出身の女性職員も2名いましたが、彼女たちはそもそも運転ができませんでした。福岡市という都会で、車がなくても生活できる環境で育ってきたのである程度仕方のないことだとも思いました。その中で、唯一女性職員として運転業務を真っ当にこなしていたのは、沖縄出身でありながら県外の大学に進学し、外の空気を知っている女性だけでした。
「外の世界」を知る人間だけが役割を果たし、地元の古い価値観に浸かったままの人間が、前時代的な「男らしさ」を強要して搾取する。これが、地方の職場のリアルな縮図でした。
女性だけではない。優秀な男性もまた、静かに見切りをつける
その一方で、好対照だったのが一人の若い男性社員です。彼もまた、沖縄出身でした。
彼は非常にそつなく運転をこなしていたので、私は彼が普段から運転しているものだと思っていました。しかしある時、雑談中に彼がふと口にした言葉に驚かされました。
「いや、実は自分の車は持っていないんですよ」
彼は東京の大学に通っていたため、本来はペーパードライバーだったのです。しかし、彼はその理不尽な役割の押し付けに文句ひとつ言わず、自費で安全運転講習に通い、実家の親の車を借りて業務ルートを何度も走って練習していたのです。
国家公務員の業績評価は、原則として本人による自己申告(自己評価)も行われます。彼は非常におとなしく、自己主張の少ないタイプでしたから、おそらく自己評価で自分を大きく見せるようなことはしなかったはずです。
しかし、書類や処理実績は嘘をつきません。直接対面することの少ない、組織のナンバー2である監理官ですら、書類を通して伝わる彼の働きぶりをこう評していました。
「処理速度が速く、審査能力も極めて優秀」
自己アピールではなく、純粋な実務能力で、彼は組織内で最高評価である『S評価』を獲得し、ボーナスも増額されていました。同じ沖縄出身でも、古い価値観に甘える者と、自ら適応し努力する者。その差は歴然でした。
しかし結局、彼はその職場(公務員)を辞めました。現在は転職した後に、自営業として独立して自分の道を歩んでいると聞きます。
古い価値観を押し付け合う組織に見切りをつけ、優秀な人間ほど静かに去っていく。女性に限った話ではありません。性別を問わず、能力のある人間から順に愛想を尽かしていく。人口が減らないからといって、組織や地域が「健全」だとは限りません。中身の空洞化は確実に進んでいるのです。
「正常性バイアス」と安全保障リスク
若者回帰を狙っても、地域の主導権を握る親世代・中高年層の意識が変わらなければ、誰も戻ってくるはずがありません。
果たしてこの層は、女性が起業すること、深く学問を学ぶこと、そして子供を産まない選択をすることを、心から受け入れることができるでしょうか。私は難しいと思います。彼らの言動の端々には、「女がそんなことをして何になるんだ」という態度が、透けて見え隠れするからです。
彼らの意識を変えるのはほぼ不可能です。「自分たちが死ぬまで逃げ切れればいい(あとは野となれ山となれ)」。限界集落で、救急車が到着できずに知り合いが亡くなっていくのを目の当たりにして、ようやく危機感を覚えるレベルでしょう。
「自分だけは大丈夫」「まだ大丈夫」。これほどまでに「正常性バイアス」という言葉が当てはまる事例は、そうはないでしょう。
行政の目が届かない「空白地帯」の危険性
では、若者が出ていき、空洞化した集落はどうなるのか。私は元外国人行政の関係者として、非常に危惧しているシナリオがあります。
それは、「正当な在留資格のない移民や、反社会的勢力による拠点の形成・不法占拠」です。
管理者のいない空き家、行政の目が届かない過疎地は、不法滞在者や犯罪組織にとって絶好の「隠れ家」になり得ます。もし、日本の法執行機関の目が行き届かない「治外法権」のようなエリアが生まれてしまったらどうなるか。
皮肉なことに、あれほど地元を動こうとしなかった保守的な中高年層も、身の危険を感じて初めて、我先にと都心へ逃げ出すことになるかもしれません。便利さや若者の未来のためには動かなかった彼らが、自らの安全のために土地を捨てる。そんな未来が見えます。
終わりに
以上のことから、バイタリティのある優秀な若い女性が都会に出ていくのは、至極当たり前のことだと言わざるを得ません。
個人的には、保守的な地方の意識を内側から変えるのは不可能だと考えています。
スタートアップ補助金やテレワーク支援で「新しい風」を呼び込む──という議論もありますが、それは「希望」というより、単なる「延命手段の一つ」に過ぎません。劇的な再生などあり得ないのです。
無理に活性化を叫ぶよりも、保守的な地方が誰にも迷惑をかけず、静かに平和に消滅していく方法(ソフトランディング)を探るのが理想ではないでしょうか。
もっとも、そのような「前向きな敗北宣言」をするような首長が、選挙で選ばれるとは甚だ懐疑的ではありますが。


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