【独身の生存戦略】結婚しない=結婚できない?大人の恋愛が難しい本当の理由と「つながり」の設計図

結婚は趣味の一つになる?という問いかけのアイキャッチ画像。家や指輪のアイコンと趣味のアイコンの対比 ライフハック

「寂しいから結婚したい」。 そういった意見を聞くたびに、私はふと疑問に思ってしまいます。

寂しさを埋めるためだけに、結婚という大きな選択をしていいのだろうか。それは根本的な解決になるのだろうか。 もちろん、家庭という共同体に救われる人は多いと思います。ただ、「結婚さえすれば孤独から解放される」という期待だけで動くのは、少し危うい面もあるのではないかと感じています。

今回は、そんな「結婚」と「魅力」、そして現代における「独身の生存戦略」について、少しロジカルに考えてみたいと思います。

若い頃の魅力は「生まれ持ったもの」

そもそも、人が人を好きになる「魅力」の正体とは何でしょうか。 私は、学生時代などの若いうちの魅力は、残酷ですが「生まれ持ったもの」や「両親・兄弟の影響」に大きく左右されると思っています。

足が速い、顔が整っている、あるいは兄弟の影響でコミュニケーション能力が高い。これらは本人の努力以前に、環境から与えられた要素が強いからです。

余談ですが、私の地元である沖縄では、勉強ができることよりも、いわゆる「ヤンキー気質」な人や、単純に「顔の造形が良い」人が圧倒的にモテていた記憶があります。 社会人になってからも、その独特な空気感はあります。例えば結婚相手の条件として「大卒の人がいい」という人はいても、「日東駒専以上じゃないと嫌だ」といった具体的な大学名にこだわる人には、私は人生で2人しか会ったことがありません。

地域によって「何が魅力とされるか」の重み付けは違いますが、若い頃は「分かりやすいステータスや見た目」が重視されやすいのは共通しているかもしれません。

大人の魅力は「造形」ではなく「表情」に出る

では、大人になってからの魅力とは何でしょうか。 社会人になっても「見た目」は重要ですが、私が思う大人の見た目とは、顔の造形ではなく「表情」です。

「顔には性格が出る」というのは的を射ていると思います。 日々の表情、目つき、口角、相手を見る時の柔らかさ。そこには生活の余裕や自信、他者への関心がにじみ出ます。

特に日本は、言葉以上に空気を読み取る文化なので、表情から伝わる情報量は圧倒的です。大人の魅力は、生まれ持った造形以上に、生き方が刻まれた表情で作られるのだと思います。

「結婚できない」は半分正解?選択肢が多すぎる大人の恋愛

世間では、いい歳をして独身の人が「私は結婚したくないんだ」と言うと、「それは結婚できないから、そう言い訳しているだけでしょう」と冷やかされることがあります。 私はこの言い方は乱暴だと思いますが、一方で「半分正解で半分間違い」だとも思っています。

「正解」の半分は、結婚というシステムが「若いうちの方が決めやすい構造」を持っているからです。

以前、オンラインショッピングを題材にこんな記事を書きました。

行き過ぎた合理主義は逆に損?オンラインショッピング時代のお買い物で知っておきたい「満足の罠」|ゆるゆるお気軽ライフLab ~日進月歩

この記事では、「Amazonなどで情報を集めすぎて比較検討しすぎると、かえって購入後の満足度が下がる(もっといいのがあったかも、と後悔する)」という話をしました。

結婚における「選択のパラドックス」

実はこれ、結婚も全く同じだと思うのです。

若い頃は経験が少なく、比較対象も少ない。だからこそ「この人だ」と決断するコストが低く、選んだ後も、その後の夫婦関係さえ上手くいっていれば、「他と比較してどうこう」と悩むことは少ないはずです。 結果として、選択肢が少ないうちに決断した結婚は、満足度が高くなりやすい側面があると思います。

しかし大人になり、出会いの幅が広がると、「素敵な人」は世界にいくらでもいることがわかってしまう。合理的に考えれば考えるほど、比較の沼にハマり、決断ができなくなる。 そう考えると、大人の結婚が難しいのは、単純な魅力の有無ではなく、「選択肢が増えすぎてしまったこと」に本当の原因があるのかもしれません。

かつて結婚は「社会参加の切符」だった

昔は、結婚していること自体がコミュニティに参加するための、ある種の「切符」や「パスポート」のような役割を果たしていた側面が強かったと思います。

地域の集まり、親戚付き合い、PTAなどの学校行事。 かつての社会的なつながりの多くは「家族」という単位で開かれており、独身であることは、そこへのアクセス権を持たないこと、つまり社会的な孤立に直結しやすい構造でした。 「結婚して一人前」という言葉には、こうしたコミュニティへの参加資格を得るという意味も含まれていたのだと思います。

しかし、今は時代が変わりました。 家族単位でなくても参加できるコミュニティが無数に生まれ、私たちは自分でつながりを選べるようになっています。

「同居が嫌」と「人が嫌」は違う。独身こそつながりを

もし、比較の末に、あるいは自分の意思で「結婚しない」選択をした場合、どう生きるべきか。 結婚しない人はよく「一人でいたい」「人と一緒に暮らすのが嫌」という理由で語られがちです。

しかし私は、「同居するのが嫌(プライベート空間を守りたい)」なのと、「家の外でも人と関わるのが嫌」なのは、全く別の話として区別すべきだと思っています。

独身のメリットは自由であることですが、同時に「家族というパッケージされた人間関係」が自動的に手に入るわけではありません。 だからこそ、結婚しない独身者ほど、意識的に社会とつながりを持ち、コミュニケーションを設計する必要があるのです。

会社以外の場所、例えば趣味のサークルや読書会、ボランティアなど、人間関係を分散させておくこと。 仕事が揺れた時にダメージが一点集中しないよう、リスクを分散させることは、会社員にとっても重要な生存戦略です。

コミュニティの価値を信じて、「看護学部」を目指すことにしました

私自身、この「つながり」や「コミュニティ」の重要性を痛感した結果、ある大きな決断をしました。 それは、30歳から看護学部に入り直し、「公衆衛生(人々の健康とつながり)」を学ぶという道です。

【決意表明】生成AIにハマりすぎて、「看護学部」にリスキリングしに行くことにしました。|ゆるゆるお気軽ライフLab ~日進月歩

生成AIが進化し、事務的な効率化が進むこれからの時代において、最後に残る価値は「生身の人間同士のケア」や「地域のコミュニティづくり」だと確信したからです。

独身であるからこそ、自分の意志でコミュニティを選び、作り、守っていく。 私が看護や公衆衛生に惹かれたのも、それが単なる資格の話ではなく、これからの時代を生き抜くための「つながりの設計図」を学びたいと思ったからなのかもしれません。

結婚は「唯一の安定装置」から「一つのライフスタイル」へ

インターネットやSNSの台頭によって、こうした「薄い繋がり」を持つハードルは劇的に下がりました。 昔なら「職場」「地元」「友人の紹介」くらいしか入口がなかったものが、今は検索一つで見つかります。合わなければ無理に続けなくてもよい。 かつてのように「結婚という切符」を持っていなくても、社会との接点はいくらでも作れる時代になったのです。

このような時代背景を踏まえると、結婚の意味合いも少しずつ変わっていくでしょう。

結婚が大切でなくなるという話ではありません。ただ、「結婚=唯一の安定装置」という位置づけが、相対化されていくのではないかと思います。 極端に言えば、結婚は人生の必須条件ではなく、価値観に合う人にとっての一つのライフスタイル、あるいは言い方を選べば「一つの趣味」のように位置づけられる日が来るのかもしれません。

結婚する・しないのどちらを選ぶにしても、現代は「社会とのつながり方を自分で設計できる」時代になりつつあります。 私はそこに、大きな希望を感じています。

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