はじめに:ここでいう「弁護士」とは?
ChatGPT をはじめとする生成AIが広がってから、
「そのうちAIが判例も条文も全部出してくれるし、弁護士いらなくなるんじゃない?」
という話を聞くことが増えました。
ここでまずハッキリさせておきたいのは、この記事で言う「弁護士」は、
- 裁判官(判事)
- 検察官
などは含めず、
依頼者からの相談・代理を請け負う、いわゆる「町の弁護士」「企業法務の弁護士」
を主な対象にしている、という点です。
生成AI時代に変わっていくのは、
- 法律の「調べもの」
- 判例・文献のリサーチ
- 書面のたたき台作成
といった「知識と紙の仕事」の部分です。
その一方で、むしろ価値が上がっていくのは、
- 示談や和解の「落としどころ」をデザインする力
- 感情的で難しい相手と折り合いをつける交渉力
- 長期戦の訴訟・離婚・紛争を走り切るメンタルの強さ
といった、人間くさい部分かもしれません。
1. まず「弁護士の独占業務」を整理する
1-1. 弁護士法72条が守っているもの
日本の弁護士の根拠法である弁護士法72条には、ざっくり言うと:
報酬を得る目的で、業として、他人の法律事件に関する法律事務を行ってはいけない
(弁護士、または法律で特別に認められた人以外はダメ)
というルールが書いてあります。
ここでいう「法律事務」の典型例は、
- 有償の法律相談
- 示談・和解交渉の代理人になること
- 調停・訴訟での代理人になること
などです。
つまり、
「お金をもらって、法律トラブルの窓口・代理人になる」仕事は、基本的に弁護士の独占業務
ということになります。
1-2. 他士業との違い(司法書士など)
もちろん例外もあって、
- 認定司法書士には、簡易裁判所(140万円以下の民事事件)の訴訟代理権が与えられる
- 行政書士は、官公署への申請書類作成などの分野で独占業務を持っている
といった「他士業の守備範囲」もあります。
それでもなお、
- どの分野の法律相談でも受けられ
- どの裁判所でも原則として代理人になれる
という意味では、
「報酬を得て、あらゆる法律トラブルの代理人になれる」のは弁護士だけ
という位置づけは変わりません。
2. 生成AIで変わる「弁護士の知識仕事」
2-1. 判例検索・契約書レビュー・書面ドラフト
すでに法律業界でも、
- 判例データベース + 生成AI
- 法令API + 生成AI
を組み合わせて、
- 「このケースに近い判例は?」を自然文で聞く
- 関連する判例・文献を一気に列挙・要約させる
- 契約書や訴状案のドラフトをAIに書かせて、人間がチェック・修正する
といった使い方が広がりつつあります。
これによって、
- 手作業で判例を洗い出す時間
- ゼロから書面を起案する時間
は、大幅に短縮されていきます。
言い換えると、
「どの条文がどこにあるか」「あの判例の文言を正確に覚えているか」
といった “六法全書記憶ゲーム” の価値は、確実に下がっていく
ということです。
2-2. それでも「弁護士にしかできない」中身は減らない
ただし、AI がいくら判例を列挙してくれても、
- この依頼者の生活状況
- 相手方の性格・組織文化
- 将来のリスク・しこりの残り方
まで含めて「どの戦略を取るか」を決めるのは、やはり人間の弁護士です。
- どの交渉カードをいつ切るか
- あえて訴訟にせず、示談で終わらせるか
- 言い分として何を主張し、何を飲むか
こういった “ゲームのデザイン” は、条文知識と同じくらい、あるいはそれ以上に「人の感情」「社会感覚」を使う仕事です。
3. 示談・和解の「落としどころ」を設計する力
3-1. 裁判に行く前の「現実的な着地点」をどう描くか
多くの紛争は、最終的に
- 示談書
- 和解調書
- 調停条項
といった形で「紙に落とし込まれた合意」に到達します。
弁護士の現場で重要なのは、
- 「この依頼者にとって、どこまで譲れば現実的に納得できるか」
- 「相手方は、どこまで譲る余地がありそうか」
という “両側の限界” を頭に置きながら、落としどころの帯を設計することです。
これは AI が
- 損害額の相場
- 過去の判例のレンジ
を出してくれたうえで、
- 依頼者の本当に譲れないポイント
- 相手が絶対に飲まないであろうライン
- 合意が決裂したときの、訴訟コストの重さ
などを見ながら、生身の人間同士で歩み寄る作業です。
3-2. 「難しい相手」と向き合う交渉力
示談や和解の相手は、必ずしも冷静な人とは限りません。
- DV・モラハラ加害者
- 自分の非を一切認めない加害側企業・担当者
- SNSで炎上させるぞと脅してくる相手
- 感情が爆発している元配偶者
- 反社会的勢力や、それに近い言動・態度を取る相手
など、「合理的な話し合いの土俵に乗ってくれない相手」とのやりとりも多い世界です。
こうした場面で弁護士は、
- 依頼者が直接ダメージを受けないように盾になりつつ
- 相手の言い分を現実的なラインに引き戻し
- 必要なら感情を“受け止めるだけ受け止めてから本題に戻す”
といった、メンタル面のタフさとコミュ力をフル動員します。
AI は、たしかに条件整理や条項案の生成は得意ですが、
- 「怒鳴られながらも冷静に話を進める」
- 「泣き崩れている依頼者を支えながら交渉方針を決める」
といった “感情の矢面に立つ仕事” は、まだ人間の役割が非常に大きい部分です。
4. 離婚・家族の争いは、これからも「人の仕事」
4-1. 離婚の多くは「話し合い」で決着している
日本の離婚件数は年間でおよそ18万件前後で推移していますが、その内訳を見ると、
- 約8〜9割は「協議離婚」=当事者の話し合いで役所に届け出て終わる
- 裁判所を使う「裁判離婚」は、全体の一部に過ぎない
ことが分かります。
しかし現場レベルでは、
- 弁護士が裏側で契約書(離婚協議書)を作っている
- 調停前に弁護士同士で条件をすり合わせている
といったケースが少なくありません。
4-2. 「離婚裁判はこれからもうかる?」の現実味
少子化で婚姻数は減りつつありますが、
- 経済的不安
- 価値観の多様化
- 共働き・共稼ぎの増加
などを背景に、「離婚・別居・養育費・面会交流」をめぐる家族の争いは、今後も一定のニーズが見込まれます。
ただし、ビジネス的な意味で「離婚裁判はこれからもうかる」と捉える前に、
- 当事者の精神的ダメージの大きさ
- 子どもへの影響
- 長期戦になりやすく、弁護士自身のメンタル負荷も高い
という現実もあります。
ここでも求められるのは、
条文や判例の知識だけでなく、「人の人生」を扱う覚悟と、感情の嵐の中でもブレないメンタル
です。
5. 生成AI時代、弁護士の独占業務は「どこに残るのか?」
ここまでを踏まえると、生成AI時代における弁護士の「本当の独占業務」は、単に弁護士法72条の文言だけでなく、次のように整理できるかもしれません。
責任を負って「代理人として名前を書く」仕事
- 示談書・和解条項・訴状・答弁書などに、
「この内容で依頼者の代理人を務める」と署名・記名押印すること - 万一のときは、専門家としての責任を問われる立場に立つこと
AIと判例を踏まえたうえで、戦略を“決める”仕事
- 攻めるのか、守るのか
- 判決を取りに行くのか、和解で終わらせるのか
- 条件をどこまで譲るのか
感情的な場で交渉の舵を取る仕事
- 怒り・不安・憎しみが渦巻く場で、話を戻し続ける
- 依頼者の感情のケアと、交渉の冷静さを両立させる
依頼者の人生全体を見て“出口”を一緒に探す仕事
- 目先の勝ち負けだけでなく、
- 仕事・家族・今後の生活まで見据えてアドバイスする
こうした部分は、AIがどれだけ進歩しても「最後の一押し」を担いづらい領域です。
6. 生成AI時代、「価値が高まる弁護士」の条件
最後に、これから価値が高まる弁護士像を、医師編と対応させる形で整理してみます。
① AIを道具として使いこなせる人
- 判例・文献検索や書面ドラフトをAIに任せ、
- 自分は戦略と交渉に集中できるようにする
② 交渉の落としどころを設計できる人
- 相場・判例だけでなく、
- 依頼者の本音と相手の性格を読んで「現実的なライン」を描ける
③ 感情的に難しい相手と向き合える人
- 怒鳴り声や無茶な要求に飲まれず、
- 依頼者の心のダメージも最小限に抑えながら進められる
④ 長期戦でも折れないメンタルを持った人
- 離婚・相続・労働・不祥事対応など、
- 消耗しやすい案件でも、淡々と走り切れるタフさ
⑤ 「この人に任せたい」と思わせる人柄のある人
- 依頼者にとって「六法全書の擬人化」ではなく、
- 「人生の苦しい局面で、一緒に戦ってくれる味方」として見られる存在
おわりに:弁護士像を「条文の番人」からアップデートする
生成AIは、条文や判例の「場所」を覚えているだけの人の価値を下げます。
一方で、
- 人の感情に巻き込まれずに、しかし無視もせず
- 依頼者の人生全体を見ながら、
- 最後に責任を持ってサインできる人
の価値は、これからむしろ上がっていくはずです。
生成AI時代の弁護士に本当に必要なのは、
「知識量」より、「交渉力」と「メンタルの強さ」。
そう考えると、
- 六法全書を丸暗記できるかどうかより
- 難しい相手と向き合えるかどうか
- 依頼者の人生の「出口」を一緒に探せるかどうか
が、自分に弁護士の適性があるかを測る、新しい物差しになっていくのかもしれません。
※この記事は【生成AI時代の専門職を考える】シリーズの弁護士編です。
すでに公開した「医師編」と合わせて読むと、AIが専門職に与える影響の共通点・違いが見えてきます。
次回は、「公認会計士編」を予定しています。


