北海道・札幌。
碁盤の目状に整備された、あの美しい街並み。
観光で訪れた人は、こう思うはずです。
「なんて整然とした、美しい街なんだろう」と。
でも――
その”美しさ”の裏には、国家の生存戦略がたくさん隠されています。

■ 碁盤の目と大通公園は「デザイン」ではなく「防衛設計」だった
1869年、明治2年。
開拓使判官・島義勇(しまよしたけ)は、京都の街並みをモデルに、札幌の都市構想を描きました。
創成川を東西の境界に。
大通を南北の境界に。
そこから伸びる、完璧な十字の軸。
きれいに見えるこの区画整理には、実は明確な意図がありました。
そして、今でこそ市民の憩いの場である大通公園。
大通公園 | 観光施設 | 観光スポット | ようこそさっぽろ札幌市中心部にある公園。大通公園では、春はライラックまつり、夏はYOSAKOIソーラン祭りやビアガーデン、秋には北海道の食www.sapporo.travel
その正体は、かつて「火防線(ひぼうせん)」と呼ばれていました。
当時の札幌は、木造建築だらけ。
火災は、都市そのものを壊滅させる最大の脅威でした。
だからこそ、道を挟んで街を真っ二つに分けたのです。
北側には、開拓使本庁舎などの官公庁。
南側には、商人や労働者の生活エリア。
もし南側で火の手が上がっても、北の”頭脳”には燃え移らない。
美しい碁盤の目と公園の下には、開拓使の冷徹な危機管理があったのです。


■ すすきの誕生は「人間の本能」すら計算に組み込んだ都市経営だった
そしてここからが、この記事の本題です。
開拓期の札幌、その男女比は――99:1。
全国から集まった、若い男性労働者たち。
過酷な労働環境、そして圧倒的な女性の不在。

このままでは治安が崩壊する。
そう判断した開拓使・岩村通俊(いわむらみちとし)が下した決断が、
官営の遊廓=現在のすすきのの建設でした。
「行政が主導して性風俗エリアをつくる」
これを現代でやったら、間違いなく大炎上します。
倫理的にも、ジェンダーの観点からも、真っ先に叩かれる政策でしょう。
でも――
だからこそ、この判断は面白いのです。
当時の開拓使にとって、これは道徳の問題ではなく**「合理性の問題」**でした。
男だらけの過酷な開拓現場で、不満やエネルギーをどう発散させるか。
放置すれば、治安の悪化や離脱者の続出は避けられない。
それを、行政が正面から都市機能として設計してしまった。
「人間の本能を、都市計画の一部として組み込む」
きれいごと抜きで、現実の人間を動かす仕組みを作りきったという意味では、
これもまた、碁盤の目や火防線と同じ**”究極の計画都市”の一部**だったのです。
しかも、その狙いは「本能のガス抜き」だけではありませんでした。
当時の労働者は、実は高給取り。
でも稼いだお金を本州の家族に送金されたら、札幌にお金は残りません。
貯めて故郷に帰られても、同じこと。
そこで用意したのが、すすきのという強烈な消費装置。
労働者に、稼いだお金を札幌の中で使わせる。
その利益で、さらにインフラを整備する。
これは福祉や道楽だけでなく、地域内でお金を回し続けるための経済システムだったのです。
現代の倫理観では到底許されない手法ですが、
「人間はどう動くか」を冷静に見切った上での都市経営という点では、
驚くほど合理的だったと言わざるを得ません。

一般社団法人 すすきの観光協会すすきの観光協会の公式ホームページです。加盟店紹介、問い合わせ先など。www.susukino-ta.jp
■ 150年後の今も、この計画は生き続けている
疑問に思いませんか。
なぜ明治政府は、これほど計画的かつ急ピッチで、街をつくる必要があったのか。
答えは、ロシアの南下政策にありました。
北海道の開拓は、単なる領土拡大ではなく、
北方防衛の最前線基地をつくる、国家防衛プロジェクトだったのです。


街が自然に育つのを、悠長に待っている時間はない。
トップダウンで、強引にでも人を定着させる。
その切迫感が、碁盤の目も、火防線も、すすきのも生み出しました。
そして今――
札幌は年間降雪量、約6メートル。
それでも約200万人が快適に都市生活を送れる、世界で唯一の街です。
なぜそれが可能なのか。
答えは、明治期に整備された「道幅の広さ」にあります。
深夜の一斉除雪。
雪を積み上げるスペース。
すべて、150年前に引かれたあの道幅があってこそ、成立しています。
明治の開拓使たちがつくった街は、
モータリゼーションも、機械除雪の時代も想定していなかったはずなのに、なぜか完璧に対応できている。


■ おわりに
碁盤の目。
大通公園。
そして、すすきの。
札幌を歩けば必ず目にする、この3つの風景。
そのどれもが、単なる「街の見た目」ではなく、
人間の本能・経済・国防を計算し尽くした、明治政府の生存戦略だったのです。
倫理的に許されるかどうかは別として、
「人間はどう動くか」を徹底的に見切ったその設計思想は、
150年経った今も色褪せていません。
次に札幌を訪れたとき。
きっとあなたは、いつもと違う目で、あの碁盤の目を見つめるはずです。

北海道開拓の村北海道開拓の村は、明治から昭和初期にかけて建設された北海道各地の建造物を復元再現した野外博物館です。www.kaitaku.or.jp

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